<< February 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES

賤ヶ岳古戦場に出陣!

[古戦場] ブログ村キーワード

小谷城の後は戦国暦をおよそ10年すっ飛ばして賤ヶ岳古戦場へ出陣!

賤ヶ岳古戦場に向かうためには自力で山を登るか、賤ヶ岳リフトに乗るかになります。
ワタクシは【もちろん】リフトなんで、乗り場の前にある駐車場に車を停めたいんだけど、
昼過ぎの一番盛っている時間に行ったら何と満車! 登山者あり、景色楽しむ観光さんあり・・

駐車場あくの待ったって回転早いラーメン屋とは違うから何時になるか分かりません。
とはいえ麓から自力で登るなんて無理!!で、駐車場前に横付けして賤ヶ岳リフトへお電話。

すると少し離れてるけど第2駐車場があるというので、さっさと移動しようと思ったら、
なんと横付けした目の前の車に人が戻ってきました。「出ますか?」「出ますよ!」ということで、
ワタクシ超ラッキー!! 結局5分と待たず、最寄駐車場に普通に停めることが出来ました。

賤ヶ岳リフト前の駐車場が満車だった時は電話して第2駐車場を教えてもらいましょうw

激せまだった瞬間
賤ヶ岳古戦場

前置き長くなったけど、賤ヶ岳リフトの入口がこれだ!・・・せまっ!! 人と離合困難w
左側に見えてるのがトイレの建物と駐車場。どうせならもう少し広く道とればよかったのにね。

じわじわ染み出す瞬間
賤ヶ岳リフト

狭い道の横には七本槍の旗が立っていて、風景や登山ではなく、まさに七本槍の活躍した古戦場に立つのを
目的とするワタクシにとっては、ここからもうアドレナリンスイッチ。うっとりしながらリフトに向かいます。

七本槍キターー!!の瞬間
賤ヶ岳七本槍

変なキャラとか無理やりな盛り上げとかはマジ不要だけど、これくらいはしてくんなきゃねw
一人で勝手に盛り上がってウキウキしながらリフト券を購入。もちろん【往復】。760円でした。

視線が熱かった瞬間
賤ヶ岳古戦場

駐車場は満車だったのに人々は一体どこにいるのか・・リフト乗り場なんて並ぶどころか、
ワタクシが財布をしまっているのを、リフト受付のオジサン2人がじっと待ち構えていたほどw

ひたすら我慢の瞬間
賤ヶ岳古戦場

あも行きま〜す!!・・・元気よくリフトに乗ってみたけど、ワタクシ何を隠そう極度の高所恐怖症。
真下を見ている分には足と地面は近くて大したことないんだけど、怖いくせに後ろを見ちゃったりすると
あーーれーー!! 高いの無理!! 上だけを見てリフトのおかげで楽できることのみに集中しました。

丸見えだった瞬間
賤ヶ岳古戦場

恐怖を乗り越え無事、山頂に到着しました。標高約420mですってよ・・・どうりで高いはずだわ。
でも視点が高いだけに、すぐ目の前に広がる湖の風景は素晴らしい! 心がスーッとしました。
ところがしばし風景に見とれた後、辺りを見回すと、どうやらまだ山頂じゃなかったことに気づき・・。

やっぱり体力がなさすぎだった瞬間


リフト乗り場から本当の山頂に向けて歩きだすとすぐ、戦没者霊地の碑とお堂がありました。
ここまで来たら急に上から人がぞろぞろ降りてくるのに出くわし、いや〜な予感がしてきました。

ここから本当の山頂まで、距離は大してないようですが、地味に急な坂道が続きます。
こんな急なところを登る覚悟をしてなかったから、息切れとよろめきが早まってしまうわ・・(ノд-。)
賤ヶ岳リフト、たしか「山頂」まで行けるって書いてあったのにどうなってんのかしらん。

納得いかなかった瞬間


やったー! やっと上まで来れました・・ちょびっと休憩を3回しながらwww
まずは琵琶湖側なんだけど・・琵琶湖が見えて古戦場の標が入るこの角度だと望遠鏡センターじゃま!
と思ったら次から次へと人が来て、ピースしたり標につかまったりして記念撮影始めるので一時撤退。

デリカシーがなかった瞬間


望遠鏡が入らないようにすると、狙ったかのようにここだけにある樹木が超じゃまで琵琶湖見えない!
反対側からだともちろん望遠鏡は入るし、プラス琵琶湖も陸があるはじっこが映るだけになっちゃうのよ。
この望遠鏡って標の横のここに絶対に必要なの? ここじゃなくてもよくない?とひそかに思いました。

盛り上がってきた瞬間


さぁさぁやっと古戦場に来た感じが出てまいりました! まずは賤ヶ岳砦の説明です。
この場所には秀吉軍の陣城のひとつが築かれ、戦時には秀吉の指揮所になっていたそうです。
案内版には主郭とか横矢枡形とか切岸とか土橋なんて言葉が見えます。砦の域は越えてる感じ。

越前国境の玄蕃尾に本陣を置き、本陣を中心に陣城を築いて部隊を配置した勝家に対抗するため、
秀吉軍は木々を切り倒し、神社仏閣を破壊して夜を徹して各所に砦を築いたと言われています。

妄想スタートの瞬間


賤ヶ岳砦の説明から余呉湖に向かって少し高くなったところに古戦場碑がありました。

本能寺の変後、秀吉と勝家は信長の後継者の座をめぐって対立、織田軍を二分する争いに発展します。
天正10年(1582)11月、二人は一時的な和平を結びますが、越前北の庄にいる勝家が雪で動けぬ間に、
秀吉は長浜城の柴田勝豊(勝家の養子)を囲んで調略、勝豊は降伏してしまいます。それを知った勝家は
2月になると雪をかき分け越前から出陣。甥の佐久間盛政を始め、前田利家、不破勝光、金森長近ら
2万8千の兵を率いて玄蕃尾を中心に陣を敷き、賤ヶ岳側に陣取る秀吉軍と対峙しました。

負けたら後がない戦上手どうしの戦いはにらみ合いが続きます。

勝家が「先に動いた方が負けだ」と言ってた小説を読んだ気がするけどタイトルが思い出せないw

歴史が動いた瞬間


余呉湖側に来ると賤ヶ岳合戦図という布陣が書かれた案内版が立っていました。案内版だと縦の尺が
寸詰まってる感じだけど、実際の地図で見ると戦場はもっと縦に長いフィールドだったようです。

膠着していた戦いは佐久間盛政が、中川清秀の守る大岩山砦を攻撃したことにより動きます。
岐阜城の織田信孝の動きを封じるため、秀吉が大垣城に向かったことを察知した盛政は中入れを進言。

勝家は「大岩山砦を落としたら戻る」ことを条件にこれを許します。盛政は8千ほどの兵を率いて
大岩山砦に猛攻撃を加え、中川清秀を自害に追い込み砦を全滅させました。自ら進言した奇襲が成功し、
勢いづく盛政は陣に戻らず、そのまま賤ヶ岳砦へ進軍。秀吉のいない間に破竹の勢いで砦を落とせば、
戦況は有利になるはずでした。が、そこへ中川清秀討ち死にの報を受けた秀吉が大垣から驚異的な速さで
木ノ本に帰還します。盛政は秀吉軍の追撃を受け一度は撤退するものの、余呉湖畔で再び秀吉軍と激突。

賤ヶ岳の七本槍の話の元になったここでの戦いは、湖畔が血で染まるほど激しいものだったそうです。

そうした激戦が続いている最中、突然、勝家軍の前田利家利長が兵を退きあげてしまいます。
それを見た金森長近や不破勝光らも一斉に戦場を離脱、孤立した盛政勢は大混乱の末、敗退。
動揺して逃亡する兵も出始めた勝家はやむをえず陣を払って、北の庄に退きました。

勝家寄りになっちゃう瞬間


勝家を北の庄城に逃す為、家臣の毛受勝照が身代わりとなり、全滅するまで秀吉軍を防いだそうです。
こうして退いた勝家は利家の元に立ち寄り、恨みは一切言わず長年の厚誼を謝して北の庄城に戻ると、
天正11年4月24日、お市の方とともに自害。秀吉が天下人への階段を上り始めることになりました。

・・・北の庄に登城した時は勝家とお市さんの気持ちや自害ばっか考えてたけど、
戦の前から政治的には負けてたとしても、武力でも互角に戦えなかって切ないよね。

余呉湖って湖としたら小さいけど、この起伏の多いフィールドを駆け回って戦すんの? 
走って刺して登って突いて追って殴って・・もしやドロップキックとかも(*°∀°)=3
清正と正則ならアリだけど、片桐さん脇坂さんはどうかなぁ〜

余呉湖を見て色んなことを考えます。余呉湖を中心に色んな距離感を想像します。

あらやだ!本当に小さいわねぇ ほら○○君、そこに立ってごらん ピースは?

って声が聞こえるけど負けない!! 私の心は今、戦国の天正時代にあるのよーー!!

八本槍にはなれなかった瞬間


しかし山頂は人が多い・・登山やハイキングでお弁当食べてる人も多くって座るところもありゃしない。
なのでワタクシ写真撮った後、本意ではないけれどこの武将の像の横の木陰に座って休んでしまいましたw
八本槍どころか、負けて弱ってる武将と一緒って全く納得いかないわ(=_=;)
人があまりに多すぎて、さすがのワタクシも登城ポーズで八本槍になるのはハードル高すぎました。

こういう粘りと根性はあった瞬間


カサカサしたワタクシの心を癒してくれるのは小谷と虎御前山や伊吹山が見える北近江のこの風景よ。
この「史跡 賤ヶ岳七本槍古戦場」の標を入れて、観光さんは入れずに撮るのが地味に難しくって・・
狙っておいて記念写真の交代の合間にサッと撮る・・うわ、足が入った・・リトライリトライ・・

ジーザス!だった瞬間


私、戦国の大場所を眺めてる!!・・いくら見てても飽きないというか離れがたい感じなのよ。

そしたらカップルが「シャッターお願いします」と声をかけてきた。一瞬「はぁ〜ん?」と思ったけど、
若いカップルの幸せのためにと、ワタクシ写真を撮ってあげました。標を入れて角度を変えて2枚も!!

で、再び風景に見とれようかと思ったら、また別のカップルが撮影を頼んでくるの・・
で、今度こそ風景見ようと思ったら、さらに別のカップルが待ち構えてた(*°∀°)=3

もう少し風景見てうっとりしたかったけど、そこら中のカップルに狙われている気がして、
帽子を目深にかぶって目が合わないようにして、こっそりその場を去ることにしました・・ナンデ?

○びりそうだった瞬間


高所恐怖症にとっては帰りのリフトが怖いのなんのって・・・行き先が遥か下で怖いし、
足と地面の距離も下がっていくから大きいし、リフトもよく見りゃぼろいから尚怖い!

リフトのバーに抱きつくようにしがみ付き、視線が泳いで挙動不審な感じだったんでしょうね・・
足とかふるえてたし。だからって上がってくる人、みんなしてそんなにジロジロ見ないで!!


はぁ〜地面に足がつくまで生きた心地もしませんでしたが賤ヶ岳古戦場から無事帰還w


震えも止まったところで、次は確実にリフトも山登りもなくて安心な姉川古戦場へ元気に出陣します!



*****ランキング参加中〜ポチッとお願いします !いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村  人気ブログランキングへ人気ブログランキング城  歴史ブログランキング

2013.06.13 Thursday 22:00 | comments(0) | trackbacks(0) | 古戦場に出陣 | 

設楽ヶ原に出陣!

[古戦場] ブログ村キーワード

正月早々インフルエンザ→マイコプラズマ肺炎にかかり今頃やっと復活!
予防注射したのにどないやっちゅうねんヽ(`Д´)ノ 肺炎も体力落ちて非常に危険・・。

というわけで今さらですが今年もよろしくお願いしますww

非常に立派だった瞬間


<長篠城周辺フィールドワークの後は織田・徳川軍VS武田軍激戦の地、設楽ヶ原へ。
車で移動すれば10分ちょいの距離。戦の内容を理解している戦場跡に行くのはわくわくします。
設楽ヶ原古戦場につくと車を停めるために、まずこの設楽原歴史資料館まで来ることになります。
再現された馬防柵や連吾川がある実際の戦場は後にして、まずは資料館を見てみることに。

圧巻だった瞬間


テーマは「日本一の火縄銃」。戦国時代から江戸〜幕末までの様々な種類の鉄砲が展示されてます。
レプリカを実際に持つことが出来るコーナーもあり鉄砲足軽の大変さも体感できますw
レプリカが何キロだったのか分からないけど、本物の火縄銃は5キロくらいあるんだとか。

使い方が大事だった瞬間


設楽ヶ原一帯のジオラマの上に乗っているのは実際の鉄砲玉・・・小っさ!!
大量に撃つとか近くで撃つとか・・戦で工夫が必要なのは必然なのだと思いました。

着たいのはフル装備だった瞬間


中級が着用したものだと思いますが桶側二枚胴や朱漆塗仏胴具足なども展示されていました。
朱塗りの艶も消え、全体に茶色になってるけど山形昌景の赤備えはこんな感じで。

複製でもわくわくする瞬間


左は信長が、右は勝頼が合戦の前日に勝算を記した書状の複製。
何書いてあるか読めないのが悲しい。訳した説明がないのも悲しい。
でもこういうの見ると自分の頭の中にある戦の存在に奥行きが出る感じがする。

家康の娘人生いろいろだった瞬間


鳥居強右衛門の「わが君」奥平信昌君と奥さんの亀姫の肖像。亀姫は家康の長女。
奥平君の武田への寝返りを防ぐのと長篠城を守った力量が認められ、政略結婚で
長篠の合戦後に嫁いだけれど奥平君とは仲睦まじかったんだとか。

かっこ悪すぎた瞬間


さざえってやつですか? ワタクシはこんな兜はかぶりたくありません。
重いばっかりで目立たなそうだし、なんか全然強くもなさそう・・。

鉄砲以外の展示も充実している設楽原歴史資料館を十分堪能して次は戦場に向かいます。
後から知ったのですがこの資料館の近くに信長が戦死者を祀った信玄塚があったのだとか。
今回はフィールドワーク重視で来たのでいつもより予習してきたんだけど甘かったなw

何しろ壮絶だったことは感じられた瞬間


設楽原歴史資料館の入り口にある武田軍の甘利信康の墓。
この古戦場には陣跡や墓の他、何かしら合戦に所縁のある場所それぞれに
設楽原をまもる会が作った「設楽原古戦場いろはかるた」が設置されている。
いろはかるただからもちろん「いろは」から「もせす京」まであるらしい。

甘利さんは「お」を担当。〜雄々しくも 立ち腹さばく 甘利信康〜

甘利さんは合戦時、鉄砲隊を率いて左翼に布陣。山形昌景を支援していて
弾薬が尽きると敵陣に突入し、討死したと言われているそう。
柵と堀がなかったら家康本陣も突き崩せたのにと立ったまま切腹した噂もあるとか。

とにかく大変だったんだろう瞬間


柳田前激戦地では「ぬ」。〜ぬかるみに 馬もしりごむ 連吾川

ここは武田軍視点な感じで。でその連吾川っつうのはどれほどのもんかというと・・

冗談かと思った瞬間


連吾川ちっさーーーー!! すごい大きい川だとは思ってなかったけど、
ここまで小さい川だとは思わなかったw ぬかるみっていうのは川ではなく、
川の周りに広がっていた田んぼのことなんだそうです。フィールドワーク大事!

妄想に浸る瞬間


設楽原をまもる会が設置した馬防柵のある場所に来ました。
柵の向こうから武田の騎馬隊がすごい勢いでわんわん押し寄せて来たのね。
ワタクシ柵の近くに寄って鉄砲足軽気分でしゃがんで、一番わかりやすく
赤備えの山形隊が泥をはね上げて突進してくる妄想をしてみました。
連吾川は柵から本当にすぐ近く。そこでぬかるみに足を取られてもたつく騎馬隊。
遠くから迫ってくる騎馬隊を見たら一瞬ビビるかもしれないけど、柵の中で鉄砲をかまえる
織田・徳川軍の足軽はその様を見て案外冷静でいたのかもしれないと思いました。

すでに戦は始まっていた瞬間


柵にもかるた「え」が。〜えんえんと 柵木岐阜より かつぎくる〜

信長は柵を作らせるため岐阜から足軽に丸太を持たせて出陣したという。
戦略、戦術を練って勝てる可能性を最大限に広げてから戦に挑む信長。
残念ながら勝頼さんとは役者が違う・・何だかかわいそうになっちゃうね。

リアルすぎた瞬間


柵内には左翼側にもうひとつかるたが。

武田軍の武将、土屋昌次の「つ」。〜土屋昌次 柵にとりつき 大音声〜

この場所は土屋昌次が戦死した場所と伝えられているそうです。

昌次さんは柵まで辿りついたんでしょうか・・ならきっとボロボロでたどり着いて、
柵の前で怒りと無念の凄まじい形相のまま討死したんだろうと想像されます。
何のために? 死ぬだけなのに柵にたどり着いてどうする? 退却も勇気じゃないの?
ワタクシには分かりようもない生き様、それが好きなんだけど。しかし名を残すって大変。

そして土屋昌次といえば、弟の昌恒も長篠の合戦を生き残って
勝頼が天目山で自害する時までずっと武田に仕えたいじらしい武将よ。
土屋昌恒の片手千人斬り・・・兄弟そろって忠義ある凄まじい男です。

もう1回戦を目論む瞬間


山形昌景の墓とかもかるたを辿ればあるようなのですがフィールドワークはこれで終了。
最初に行った三方が原古戦場よりもずっとずっとリアル。妄想が止まらない戦場跡でした。
川中島に行った時と同じくらい知識とイメージが同化して感動や感慨が増した感じ。

やっぱり実際の場所に行くって大事。歩くの嫌いだけどフィールドワークはとても楽しいw

医王寺とか大通寺を見たり、山形君のお墓や信長側の武将の陣跡とかもじっくり見たり・・・
長篠城と設楽原だけで1日かけてもよかったのね。機会があればこれは再挑戦したい!


次回は10月に登城した坂本城跡方面のエントリーですΣ(゚Д゚)!
次回もまた見てくださいね〜じゃんけんポン! うふふ。



*****ランキング参加中〜ポチッとお願いします !いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村


歴史ブログランキング



2012.01.21 Saturday 17:17 | - | - | 古戦場に出陣 | 

長篠城近辺の史跡めぐり!

[武将] ブログ村キーワード

長篠城登城の跡はフィールドワークで史跡を巡ろう!

ということで長篠城址保存館の親切丁寧なサイトから印刷したマップを取り出しいざ出陣。
車で行ける場所か分からないから長篠城に車を置いたまま2時間くらいで気合いで回ってくるのだ。

こんな城の近くだった瞬間


勝頼の本陣があった医王寺とか水杯の大通寺なんかも行きたいとは思ったけど、
もっと行きたい史跡とは逆だったので時間と体力考えて今回は割愛(´Д`)

まずは長篠城を出てすぐのところにある「鳥居強右衛門呼びかけの場所」から。

なんの変哲もない民家の前に立つ電柱の横に取ってつけた感じ満載の立札が。
武田軍に捕らえられたスネちゃまが「援軍は来る」と呼びかけた場所はここらしいです。
ワタクシは磔になった時だと思っていたので来て初めて知った事実でしたがこの場所、
本当に長篠城の目と鼻の先。武田軍は本当にすぐそこまで攻め寄せていたんだと実感しました。

不安になった瞬間


次は馬場美濃守のお墓を見に地図を片手に道端の案内をたどるとこんな畑の中へΣ(゚Д゚)!
本当にお墓なんかあるのかしら?と無駄に体力と脚力を使うことに恐れおののきながら先へ。
猜疑心満載で歩を進めると少し先の木立の中にそれらしきものが見えてきました。

おお、あった!


よかった〜と心から思いましたw 馬場美濃守のお墓です。
勝頼を退却させ敵中に飛び込んで討死した馬場美濃守の首を埋めたところと言われているそうです。
ただ討死した場所というのは別に残っているそうなので、首があるかどうかは怪しいと思いますw

ロマンと気持ちの問題だった瞬間


でもいいの。首があるとか胴があるとか歴史ロマンにそんなの関係ないの。
そんなお墓はこれまでだってたくさん見てる。それでもワタクシ真面目に合掌してきたわ!

というわけで人目がないのをいいことに心静かに「合掌」・・馬場さん素敵ですw

次は鳥居強右衛門のお墓がある新昌寺へ・・馬場君とこは車で来れたじゃんと少し恨めしく思ふ。

ボケてた瞬間


普段、まったく歩かないワタクシ。馬場君のお墓からそこそこ歩いて結構くたびれてます。
近くに来ても鳥居強右衛門のお墓がある寺が見つからずゲートボールのご長寿さんたちに聞くと、
何人もがわらわら寄ってきて「ほら、そこだよ」「若いのに御苦労さま」とか言って指差す先は
自分の立ってるすぐ目の前・・・私は馬鹿か?と本気で思いましたしw

場所が分かって安心したのでせっかくだから新昌寺の入り口の方に廻って境内に入ることにしました。

スネちゃま寺だった瞬間


鳥居権現と書かれた入り口から門に進むと鳥居強右衛門勝商墳墓と書かれた石柱が建っています。
権現ってすごいよねw スネちゃまのお墓は境内の奥の方。先に進みます。

事件は現場で起きていた瞬間


新昌寺の境内は広々。本堂の横のお堂の左奥に白っぽく見えるのがスネちゃまのお墓。
鳥居強右衛門は死後この新昌寺に葬られたそうですが後に新城市作手にある甘泉寺に移され、
今この場所にあるのは墓標のみなのだとか。狛犬が立つ白い立派な墓標でしたが・・・
ワタクシ、なんとここで痛恨の一撃!! なんと写真が撮れていなかったのですヽ(`Д´)ノ
確かにシャッター押して液晶にロックしたつもりだったんですけどね・・ショックすぎます。

しかしこの時点ではそんなビッグミステイクをしていることには気づいていないので、
再びゲートボールの親切なご長寿さんのところに行き、磔の場所を聞いてさっそうと出発w

・・・つうか新昌寺も普通に車で来れたよね。車で来ちゃえばよかったんじゃないの?

史跡は絶対に残してほしい瞬間


今はこの近辺、高速道路の高架をかける工事をあちこちでやっていて見通し悪いの。
長篠城すら線路に分断されてるし、その上高速道路まで通るなんてちょっぴり心配よ。
ご長寿さんに教わった通り歩いていくと踏切の手前に案内板が見えました。

やられた・・普通に車で入れるし。車を取りに戻るの大変だわ・・

気持ちが盛り上がる瞬間


線路っぱたの畑の中を歩いていくと突き当りには鳥居強右衛門の烈士伝が書かれた案内板がありました。
さっき長篠城から見た寒差川の対岸に当たる場所です。

激しく同期の瞬間


磔死の跡には石碑が建っています。この場所で鳥居強右衛門は磔になったのです。
石碑の向こうは崖になっていて底にはそれなりの水量がある寒差川を挟んだ向こうが長篠城。
目を凝らしてみましたが長篠城から見た時同様、見通しは全くよくありません。
でも磔になったという場所の周囲の木を切り倒せば城からはきっと丸見え状態。

始めに鳥居強右衛門呼びかけの場所を見てきたけれど、磔になったこの場所に立って納得。
ここから呼びかけたって、いくら命を振り絞って叫んだって、この距離、この川の音では
きっとスネちゃまの声は城兵には届かない。磔にされたスネちゃまは何を思っていたんだろう。

わが君の 命にかはる玉の緒を なにいといひけん もののふの道

鳥居強右衛門の辞世の句。雑兵とは思えない。忠義が切なすぎて涙が出そうになります。
同時に長篠の戦いを題材にした色んな小説で読んだ描写がまぜこぜになって思いだされました。

クライマックスの瞬間


鳥居強右衛門磔の跡から踏切を越えて少し歩くと、いよいよフィールドワークのクライマックス!
長篠城と言ったら・・・はい! 的なあの風景が見える牛淵橋です・・ってやっぱ車で来れた。

感無量の瞬間


スネちゃまが磔になった場所も見ておきたかったけど、そして実際に見たら思った以上に
こみ上げてくるものがあって自分でもびっくりしたけど、でもワタクシは実はこの風景見たさに
歩くの嫌いなのにフィールドワークを今回の日帰り強行の旅に取り入れたのよ。

言わずもがなな瞬間


私の写真テクで「どうぞ〜!」ってほどのもんじゃないけど、この風景ですよ!!!
豊川と宇連川が合流するところにかかる牛淵橋から見る長篠城は50mの断崖に守られ、
天険を利用した戦国時代っぽいお城だってことが改めて分かりすぎる風景。

それにしても深そうな感じ満載の怖い川の色ね・・プールでしか泳げないワタクシにはとても無理。

もののふには程遠かった瞬間


牛淵橋からの風景見終えて後は車を取りにひたすら長篠城を目指すだけと思った瞬間、
憑き物が急に落ちてしまいました。城は目の前に見えるのに川に沿ってひたすら迂回・・
はぁぁ・・思いがけず攻め手武田軍のめんどくささまで体感してしまいました。

どこを歩いても川の向こうは城・・橋はないのかと思いつつ歩いて歩いてようやく、
JR飯田線の長篠駅が見えてきました・・・って、超ちっさーーー!! 無人だし。

【結論】 長篠城史跡めぐりは車でOK!

車だったらどう考えても反対方向の医王寺や大通寺、鳳来寺なんかも行けちゃってたでしょ。


お城に戻ってスポドリ500个魄豕ぐみ。車に乗り込み次なる設楽ヶ原に急ぎます。





*****ランキング参加中〜ポチッとお願いします !いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村


歴史ブログランキング
2011.12.28 Wednesday 19:44 | - | - | 古戦場に出陣 | 

三方ヶ原犀ヶ崖古戦場へ出陣!

[古戦場] ブログ村キーワード

に登城して三方ヶ原へ寄らずして何とする!

というわけで野生の勘を頼りに三方ヶ原古戦場・・犀ヶ崖資料館へ寄ってきました。
ナビに出ないので住所を入れて目指したけれど交差点の角にあるのに1度見逃しましたw

到着の瞬間


ここには三方ヶ原犀ヶ崖古戦場の史跡碑と宗円堂(現在は犀ヶ崖資料館)があります。
三方ヶ原の戦いの中の局地戦と言っていいのかな・・脱糞して浜松城に逃げ帰った家康は、
何とか一矢報いようとこの犀ヶ崖という場所で武田軍に夜襲をかけたと言われています。

危険な場所だった瞬間


犀ヶ崖は浜松城の北1キロのどのところにある東西約2km、幅50m、深さ40mの切り立った断崖絶壁。
家康軍に急襲された武田軍の兵士は地理を把握しておらず多くが崖に落ちたと言われています。
その崖下を覗きこむと結構な深さがあって、今は観光や史跡を守るために護岸というの?
コンクリートの補強がされて柵もついているけれど、当時を考えたら危なすぎる感じ。

念入りにアピールだった瞬間


違う場所にも石碑が建っています。こちらは三方ヶ原犀ヶ崖古戦場と書かれた立派なもの。
心身ともにダメージ特大の家康が気合いを振り絞って犀ヶ崖に討って出ていなかったら、
浜松城はあっけなく落とされ、家康はもちろん徳川家だってどうなっていたか分からない・・・
負けず嫌いなのか、1人でも多く道連れに根性だったのか、わずかな撃退の可能性にかけたのか
あもには知る由もありませんが、判断した時には気づかなくても人生にはその後を左右する
重大なターニングポイントがあって、それも歴史なんだと考えるとやっぱり面白いと思う。

無防備なら確実だった瞬間


高所恐怖症のあもは建物3階分以上はもう全くダメなんだけど、それくらいの深さは軽くあるしw
犀ヶ崖での夜襲を決めた家康は、崖に布を渡して橋と見せかけ武田軍を落としたと伝えられています。
危険な場所での夜の戦いは地理に暗い武田軍には絶対的不利。崖があると知らずに走っていれば、
すごい勢いで転がり落ちてあの世行確定・・・武田軍は多くの人馬を失ったそうです。
犀ヶ崖資料館のある布橋一丁目という住所の「布橋」は、このは伝承にちなんでいるのだとか。

現場で起きていた瞬間


小説や歴史本などで何度も読んでいるので戦いの時系列や流れはよく知っているつもり。
犀ヶ崖のくだりについて書かれたことを嘘だとか大げさだとか思ったことはないけれど、
実際の場所に来て、見て、距離感やスケールを感じると妄想に深みが加わるというものw
しかし・・写真だと深さがいまいち伝わらないのが残念。事件は現場で起きているのに。

無料で太っ腹だった瞬間


お寺っぽい建物の犀ヶ崖資料館。三方ヶ原の戦い両軍の死者の霊を祀った宗円堂というお堂で、
現在は資料館として死者を供養するために始まったといわれる遠州大念仏や、三方ヶ原の戦いに
関する資料が展示されています。遠州大念仏は三方ヶ原の戦いの後、崖から人のうめき声がするなどの
怪奇現象が起こり、それを鎮めるために家康が念仏を上げさせたのをきっかけに始まった供養のこと。

入る前にその隣にある「家康の散歩道」コースのひとつでもある本多忠真の碑を見ておきます。

本多恐るべしだった瞬間


本多肥後守忠真は徳川四天王、
本多忠勝の叔父で、三方ヶ原の戦いで殿を務めた際、
道に旗指物を立て、ここから先は一歩も引かぬと刀1本で敵に切り込み39歳で討死した勇者。
忠真の子は父親が死んだこの戦いで無常を覚え、父を葬った後、出家してしまったそうだ。
気持ちは分からなくもないけどこの時代において草食系男子は何だかいや。

時間はなかったけど見てしまった瞬間


中に入ってきょろきょろしていたらおじさんが「ビデオ見る?」と声をかけてくれたので
講談師の名調子で解説される三方ヶ原の戦いの映像を15分ほど見ました。座布団に正座してw
モニターに映像が出て、手前の地形図で位置を確認するという分かりやすい内容でしたよ。

インパクト大だった瞬間


資料館の道を挟んだ向かい側には家康の身代わりを務めて討死した夏目次郎左衛門吉信の碑が。
夏目さんは一揆の首謀者でしたが家康に許されたことを恩に思い、ここで恩を返したようです。

三方ヶ原のことが書かれた小説を初めて読んだのは多分、中学生の時だったと思うけれど、
子供ながらに夏目サンの忠義がいじましく、それ以降の徳川史では一切出てこないのに
名前を未だ忘れることがない。討死するまで戦うと言い張って聞かない家康から兜をぶんどり、
ごめんと言って無理やり馬に乗せ、我こそは家康なり〜と敵陣に向かうシーンは印象深い。
そして全然、話は変わるけどこの夏目さんの子孫が夏目漱石なんだってね。

根性も時間もなかった瞬間


犀ヶ崖資料館のおじさんに三方ヶ原古戦場の碑がある場所を教えてもらったので、
長篠城に向かいがてら寄ってみることにしたのですが・・なんと霊園の横っちょΣ(゚Д゚)!
9月23日だったのでお彼岸の墓参りに来た車の大混雑で車を停めて降りることが出来ず、
霊園から出てくる車を入れてあげるふりをして止まった一瞬の隙に撮ったらこんなことにw

もう少し北上すると祝田の坂にも行けると聞きましたが長篠城に向かう身では無理・・。
武田軍魚鱗の陣VS徳川軍鶴翼の陣のシーンを思い浮かべながら心は長篠城に飛んでいますw

長篠城に登城したら頑張って広域フィールドワークをしちゃうつもり!
時間いくらあっても足りないから車内でおにぎりかじりながら長篠城に向かいます。




*****ランキング参加中〜ポチッとお願いします !いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村


歴史ブログランキング
2011.12.03 Saturday 17:22 | - | - | 古戦場に出陣 | 

川中島古戦場へ出陣!

[古戦場] ブログ村キーワード [武将] ブログ村キーワード

砥石城上田城荒砥城と登城して、ついに決戦の地、川中島古戦場へ!!
春日山城に続いて謙信を妄想するため、まずは妻女山に登ります。

案外、ひっそりとしていた瞬間


妻女山は第4次川中島の合戦(八幡原の戦い)で謙信が陣を張った山。

1万3千の兵を率いて春日山城を出た謙信は、善光寺近くの横山城に兵糧隊2千を置き、
高坂昌信の守る海津城の背後の河候峠を越え、妻女山に布陣しました。
謙信出陣の知らせを受けた信玄は1万の兵とともに甲府から出陣。
味方を加えながら川中島方面へと進むと、謙信の退路を断つ茶臼山に布陣します。
ここからおよそ20日間、両軍が対峙し、激戦「八幡原の戦い」へと突入しました。

2007年の大河「風林火山」の頃には、ここも観光客が多かったと聞いていたけど、
「さぁここが謙信公が布陣した妻女山ですよ〜見てくださ〜い」的な風もなく、
予想以上にひっそりとした佇まい。車はあるけど人だって誰もいやしない。

永禄4年を妄想した瞬間


川中島方面を眺め、武田軍と対峙中の謙信を真剣に妄想。
千曲川の流れが当時とは違うけれど、それはあまり気にしないw

こう着状態が続き、春日山城へ攻めこまれることを恐れる家臣に、
「信玄が越後を攻めるなら、こちらは甲州を攻めるまで」と動じることなく
剛毅な男っぷりを見せた謙信。さすが軍神。その潔さかっこよすぎる!

丸見えだったことにした瞬間


今度は海津城のある右手を眺めます。


|д゚) ・・・・・ジーーーッ


海津城どころか、木が邪魔すぎて街並みすらよく見えませんがヽ(`Д´)ノ!
いや、しかし。たとえ木がなかったとしても海津城はわからないと見た・・。

茶臼山に布陣した信玄は6日後、これ以上の対陣は無益として
まずは信玄自身が海津城に移動。続いて謙信に隙をつかれぬよう
海津城から遠い順に部隊を動かし、全軍を海津城に入城させました。

海津城から妻女山は見えないけど、妻女山にいる謙信から海津城は丸見え!
のはずなんだけど・・城以外、これといった建物がない時代はともかく、
市街化された町の中にある海津城(松代城)はワタクシには分からない。

でも謙信も同じ方向の同じものを見ていたのだと思って、ここはよしとする。

あんまりピンと来なかった瞬間


信玄が海津城に入って10日後、城から上がる炊煙がいつもより多いのに気付いた謙信は
武田軍の夜襲を察知。妻女山に100余の兵を残して紙旗を立て篝火をたき、
謙信は武田軍の裏をかくべく、深夜のうちに雨宮の渡しを越えて移動開始。

甘粕隊1000を備えとして東福寺に置き、およそ9000の兵で八幡原に布陣。
陣形を整えつつ静かに信玄を待ち受けます。

・・ということでワタクシも妻女山を下り、雨宮の渡しに移動開始!

真っ暗な山中を松明も持たずに下り、人馬とも物音一つさせず・・・

しかし千曲川の流れが変わっていることもあり、当時、雨宮の渡しだった場所、
今はがっつり住宅街の中・・渡るどころじゃなくて、ここは妄想断念Σ(゚Д゚)!

ま、でもいいのいいの。時を超えてフィールドワークしてんのは確かなんだから。

ようやく、いざ決戦の地だった瞬間


武田軍は上杉軍を挟撃すべく啄木鳥戦法の別働隊1万2千が妻女山へ、
信玄は8000の兵とともに八幡原方面に向けて海津城を出発。

信玄が八幡原に到着し布陣を始めた早朝、川中島一帯に霧が発生します。
信玄を待ち構えていた上杉軍は車懸りの戦法で近づき攻撃を開始。
妻女山に向かった別働隊が謙信のいないことに気づいたのも同じ頃のこと。
霧の中、突如として現れた上杉軍に逆に裏をかかれた形に動揺した上、
別働隊が来るまで寡兵で戦うことになった武田軍は死にもの狂いの攻防。

謙信だって今度ばかりは決戦のつもりでやってるから手加減なしよ。
ワタクシは今回、上杉軍のつもりで妄想参戦してるけど、この場面ばかりは
武田軍の側から霧の向こうに現れる上杉軍を見てみたかったわw

大激戦が繰り広げられた瞬間


あわてて妻女山を下りた別働隊は雨宮の渡しより手前の十二ヶ瀬から
千曲川の渡河をを試みるものの、甘粕隊に阻まれ苦戦中。
本隊では信玄の弟、信繁が、続いて山本勘助が、,諸角豊後守が討死。

武田軍が劣勢になったかと思われた頃、別の渡河点から千曲川を渡った
別働隊が続々と八幡原に到着。武田本隊に攻めかかる上杉軍の背後に迫ります。

そして・・・「あとは総がかりにせよ」と言い残し、謙信は武田軍本陣へ。

野暮は言いっこなしだった瞬間


キタ━━━━ (*゚∀) (∀゚*)━━━━━━!!!!!!!!!!!!

謙信と信玄の一騎討ち。ワタクシは学者じゃないからロマン支持よw

紺糸縅の鎧に萌黄緞子の胴肩衣、金の星兜に立烏帽子白妙の練絹で行人包、
長光の太刀を抜いて、名馬放生の上から斬りつける謙信・・・気迫が伝わるわぁ。

諏訪法性の兜、黒糸縅の鎧の上に緋の法衣、軍配で受ける床几上の信玄・・・濃いわぁw

妄想大炸裂だった瞬間


謙信は3度切りつけたと言われているんだよね(脳内再現中)


「いやぁーーっ!」
「ぬ!」
「いやぁーーっ!」
「ぬっ!」
「いやぁーー!」
「ぬぅーっ!」


「信玄覚悟〜!」とか「おのれ謙信!」言ってたらちょっとやだし。

一騎討ちの後、背後に迫る別働隊に加え、海津城から2千の兵を連れて
加わった高坂隊の攻撃を受けた上杉軍は総崩れとなり退却した。

耳ダンボだった瞬間


ほとんど人はいなかったんだけど、一騎討ちの妄想を終えた頃、
中高年グループが来てボランティアガイドさんの説明を聞き始めたので、
何食わぬ顔で横に立ち、さりげなく拝聴。よどみなく抑揚のついた説明は、
案内板と内容は同じでも面白い。わざわざ頼めないから得した気分w

三太刀七太刀之跡
三度切りつけられて軍配を調べたら七ケ所傷があったことから、
一騎討ちの場所は「三太刀七太刀之跡」と呼ばれています。

首塚
高坂昌信が合戦後、敵味方の区別なく死体を集めて手厚く葬ったのがこの首塚で、
これに感激した謙信は後に、武田方に塩を送って報いたと言われています。

逆槐(さかさえんじゅ)
ここに陣を構える時、信玄が土塁の土どめに槐を根を上に向け、
杭として打ち込んだものが芽を出し、大木になったと言われています。

厳かで神秘的な感じだった瞬間


観光客とかがいても、ちょっと異空間な感じが漂う社殿。

誉田別尊(ほんだわけのみこと)、建御名方命(たけみなかたのみこと)が
祀られた八幡社の社殿。古くからあり、八幡平の名の由来となったそうな。

謙信大ピンチだった瞬間


武田軍の中間頭、原大隅が信玄の長柄を取り、馬上の謙信をめがけてひと槍。
しかし槍は鎧の肩の上にそれ、返す槍で謙信の鎧の肩を打とうとするが、
馬の三途(後脚の上部の骨)を打ったため、驚いた馬は跳ね上り、
謙信を乗せたまま狂奔し、その場から去ってしまったという。

謙信を取り逃がした原大隅は悔しさのあまり、傍にあった石を槍で突き通したといわれ、
その時の穴が残っているこの石は、執念の石と呼ばれるようになったのだとか。

いぶかる瞬間


うろついた結果、ようやく案内を見つけてたどりつけました。
土曜の午後なのにすんなり車も停められ、人もいなくてガラガラ。

典厩寺は川中島の合戦で戦死した武田信玄の弟、典厩信繁と、
同合戦で亡くなった両軍6000人を弔い供養したお寺。元は鶴巣寺と号し、
合戦から60年後の元和8年、武田典厩の名を取って寺号を改めたのだという。

典厩信繁の首を洗い清めた井戸やお墓、貴重なお宝が見られるお寺です。

まず日本最大の閻魔様だった瞬間


ワタクシの目的は典厩信繁のお墓や貴重なお宝だったんだけど、
入ってすぐ受付の隣だったから、とりあえず見てみることにw

閻魔様、意外と中華風だった瞬間


あれ・・絵本とかアニメで見た閻魔様って赤かったっけな?
とかちょっと思ったけど、まぁまぁ興味なくて(*°∀°)=3

色んな意味で衝撃的だった瞬間


境内にある川中島合戦記念館には貴重なお宝がいっぱい!
お宝の貴重さとインパクトと保存状態のすごさは比類なき感じよw

典厩の兜とか、典厩の鎧の下着とか典厩の刀とか。
甲陽軍鑑数冊山積みに謙信公の鉄扇とか原大隈の槍のさやとか。
鎧とか武具なんかも置いてあるんだけど保存状態がよくない・・。

腰板の入ったサッシ窓の中に、しかも床に近い下の方に置いてあった兜。
ガラスから覗き込まないと見えない位置で湿気とか非常に心配。
刀の説明は厚紙に手書きのアットホームすぎる展示Σ(゚Д゚)!

博物館とかによくある湿度計とか調整するやつとか何もなく・・。
心配した博物館とか買い取りに来ないものなのかしら?

一騎討ちの銅像の元に遭遇だった瞬間


武田上杉両雄合戦之碑。川中島古戦場にあった一騎討ちの銅像は
この絵を元に造られたのだそうだ・・え? わかりづらい?

わかりやすくしてみた瞬間


手前に武田菱の陣幕、そして信玄と馬上の謙信が描かれているの。

じっくり見比べた瞬間


こうして並べて見ると何だかわからないけど興奮するね(*°∀°)=3
どっちも見た目も文言もかっこよくて甲乙つけがたしって素敵さ。

神妙にお墓参りの瞬間


兄の信玄を守って37歳で討死した典厩信繁は信玄をよく支え、
かしこく強く、人望もあった。真田昌幸は典厩を理想の武将として、
次男に信繁の名をつけたと言われています(幸村)。

討死のその後を考えた瞬間


典厩信繁公の首きよめの井戸。かなり小さいけど。
奪い返してきた典厩の首をここで清めたのだという。
敵にとっての大将首を命がけで奪い返すだなんてすごいよ。


川中島合戦を十分堪能し満足満足w

と思いつつ、ここまで来たらせっかくだし・・と
さりげなく海津城(松代城)にナビを合わせるワタクシなのであった。



*****ランキング参加しています いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村


歴史ブログランキング



2010.10.09 Saturday 19:00 | - | - | 古戦場に出陣 | 
<< | 2 / 2 PAGES |